高度成長時代の象徴として登場し、「団子鼻」の愛称で親しまれた初代新幹線「0系」が11月30日に定期運転を終了、12月6日、13日、14日の新大阪?博多間臨時「さよなら運転」で、44年の歴史に幕を下ろした。
0系新幹線「ひかり」は東京オリンピック直前の1964年10月1日にデビュー。最高時速220kmで走り、特急で片道6時間半かかった東京?新大阪間を約4時間で結んだ。最高時速260Kmの仏TGVの営業開始は1981年からなので、当時の世界最高速車両だった。
0系新幹線の開発は開業の約10年前、1953年ごろから始まった。しかし実は第二次世界大戦後、GHQの指令で転がり軸受の使用が禁じられた。「転がり軸受は軍需産業であり、日本で手掛けてはならない」という主旨である。しかし転がり軸受は、高速車両の要となる技術。車軸には不可欠だ。そこで当時国鉄(現JR)技師長だった島 秀雄氏(新幹線の祖)が陳情、説得して、ようやく転がり軸受の使用が認められることになったのである。
当時の在来線の車軸軸受では封入したグリースによる潤滑が一般的だったが、0系では高速走行での信頼性を高める仕様として、タービン油による油浴潤滑方式を採用した。
ここで難しくなるのはオイルシールの技術。軸受が走行時に外気で冷やされ80℃程度なのに対し、オイルシールのリップ部分は、高速走行による摩擦熱に敏感に反応し、120℃まで上がる。シールからのある程度のオイルの漏れは許容していたようだが、大量に漏れてブレーキが効かないでは済まされない。もちろん軸受の潤滑不良による故障もまずい。当時は耐熱性、コスト、極圧添加剤への耐性などから、シール材料にアクリルゴムを使って、要求をクリアした。
以降、最新のN700系で300km/hと高速化が加速する一方、安全性を確保した上でのメンテナンス周期の長期化が求められてきている。高速運転での転がり疲労対策としては高清浄度鋼の使用や温度上昇を抑える軽接触タイプのオイルシールのほか、運行中の軸受のモニタリングシステムなども、メンテナンス周期の長期化では重要だ。
軸受、潤滑油、シールなど個々の要素技術は日々向上してきているが、その基盤に0系開発における高いレベルでの技術の積み上げがあったことを忘れてはならないだろう。産業界の活性化に向けた新たなスタートが求められる現在こそ、0系開発のフロンティア精神に学ぶところは多い。
あらためて「団子鼻」に、「ご苦労さま」と言いたい。