北京オリンピックが閉幕した。当編集部が応援した星野JAPANのメダル獲得はならなかったが、日本は金9、銀6、銅10の25のメダルを獲得した。今春『ハンマー頭部の加速についてのバイオメカニクス的考察』なる論文で中京大大学院から体育学博士号を受けたアテネ五輪金メダリストの室伏広治選手にも、科学的分析の結果を期待していたが、連覇はならなかった。2投目の80m71以外は80mを超えられず、5位。腰を痛めていたらしく、鍛錬と科学の力は残念ながら生かされなかった。
この室伏選手がハンマー投げ以外で五輪に挑んでいたことがある。氷上のF1といわれるボブスレー。長野五輪のことだ。室伏選手は、選手選考会であるコントロールテスト(60m走、20m走、立ち五段跳び、ベンチプレス、スクワットの5種目を計測し各タイム、距離、挙上重量を得点(各種目100点)で換算し、点数を算出して順位を決める)でただ一人500点満点を打ち出した。
堀切川一男氏開発の低摩擦ランナーと、ランナーを装着した長野五輪日本代表用ボブスレー 実はこのとき、ボブスレー日本チームには科学・技術面での指導者がいた。東北大学教授(当時山形大学助教授)の堀切川一男氏である。彼の専門はトライボロジー(摩擦・摩耗・潤滑の科学・技術)。ボブスレーの力学解析を行ってタイム短縮に効果的な新しいスタート方式である「蹴り乗り」を提案したほか、「低摩擦ボブスレーランナー(そり用の刃)」も理論的に設計、開発し、弱小だった日本代表チームを世界トップレベルに肩を並べるところまでレベルアップさせた。
しかし、室伏選手はハンマー投げに専念したいといった理由から長野五輪ボブスレーでの出場を断念、堀切川氏はのちに「あのとき彼が出ていれば、さらにいい結果が残せたのに」とこぼしている。ボブスレーは陸上の投擲種目の選手やスプリント種目の選手が適しているとされ、室伏選手並みの選手が三人いれば確実に金メダルが取れるともいわれている。
室伏選手のハンマー投げにおける科学的探究心は、ひょっとするとボブスレー選手時代のこの工学者との取組みの中で育まれたものかもしれない。4年後のロンドン五輪で成果を期待したい。