この3月、土井隆雄宇宙飛行士を乗せたスペースシャトル「エンデバー」が打ち上げられ、400キロ上空の国際宇宙ステーション(ISS)に、日本初の有人宇宙施設となる実験棟「きぼう」(上写真、提供:JAXA)の船内保管室が取り付けられた。同じ月、宇宙開発の未来像を描いて多くの宇宙飛行士に愛された作家アーサー・C・クラーク氏が他界した。スタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』の原作者である。
『2001年』は、宇宙ステーションが『美しき青きドナウ』の曲に乗って優雅に、強烈なインパクトをもってスクリーンに描かれた最初の映画だろう。第5宇宙ステーションを出て、人類を進化に導くオベリスク(黒い石板)の謎を解明すべく月へ、木星へと向かう宇宙飛行士たちを様々なトラブルが襲う。メカの故障もある。
2001年をとうに過ぎた現在、宇宙ステーションは本格稼動していないが、「きぼう」をはじめとする各種計画の実施が加速してきている。「きぼう」は来年にかけ、今回の船内保管室(空気を満たして、実験装置を保管したり飛行士が休憩したりする場所になる)に加え、各種実験を行う船内実験室、宇宙空間に実験装置をさらす船外プラットホームと、3回に分けてISSに運ばれる。実験装置の移動にはロボットアームが使われる。日本の得意とするメカだが、生産ラインで使われるのとは条件が違う。なんたって宇宙空間は真空で、地上のメカのように関節のところのベアリングに普通の潤滑油とかグリースが使えない。二硫化モリブデンとか金といった自己潤滑性のあるコーティングが使われるそうだ。そのへんの技術動向は、おいおい開発ストーリーなどで取り上げる予定だ。
1945年、人工衛星スプートニク打ち上げの10年以上も前に通信や天気予報などへの人工衛星の利用といった未来を予見していたクラーク氏の仕事部屋には、米国、ロシアの宇宙飛行士から贈られたサイン入りの写真が何枚も飾ってあったという。宇宙飛行士たちにとって、クラーク氏こそが宇宙開発の夢へとつき動かすオベリスクだったのがもしれない。
Photo by JAXA